COUNT UP!
彼ら彼女らは、何を求め、何を夢み、何を犠牲に戦いの場に臨んでいるのか。実力者、ソフトダーツの草創期を支えたベテラン、気鋭の新人・・・。ダーツを仕事にしたプロフェッショナルたちの、技術と人間像を追う。
Leg3 浅野眞弥・ゆかり(2)
「D-CROWN」を造った男
東京・板橋。JR板橋駅から歩いて10分ほどの、首都高速道路5号線の高架が頭を覆う、山手通りに面した雑居ビルの4階に、ダーツバー「Palms」はある。palmは椰子の木。南国の夜を思わせる広々とした店内に、ダーツマシーンがずらりと並ぶ。
夜の帳がおりると、一日の仕事を終えた男女が、電燈に群がる夏の虫たちのように、一人、また一人とPalmsに吸い寄せられてくる。
ビームライトに紫煙が揺れるカウンターで、グラスを傾けてお喋りに興じたあと、客たちの多くは、ダーツボードに向かう。活気が最高潮となるのは、日付が変わろうとする頃。15世紀半ばの英国で、薔薇戦争最中の兵士らが、酒場の戯れに始めたのが起源とされるダーツの原風景が、ここにもある。
店を切り盛りするのは、ダーツ界の草創期を牽引してきた、浅野眞弥・ゆかり夫妻だ。
都内有数のダーツバー
Palmsのオープンは1999年の暮れ。このとき、二人はまだ交際もしていない。眞弥が友人と始めた。すでに眞弥は名の知れプレイヤーだったが、当初からダーツバーにするつもりだった訳ではない。集客の一助にとボードを2台置いたのが始まりだ。
今ではPalmsをホームとするチームがハードで11、ソフトで3つある。上位リーグで戦うチームのメンバーの大半はプロ登録する選手たち。上級者が切磋琢磨する、都内でも有数の賑わいを誇るダーツバーとして知られるようになった。
ダーツが取り持った縁
眞弥は1961年、東京・渋谷の生まれ。実家はお風呂屋さんだった。ダーツを始めたのは25歳のとき。すでにハードダーツの日本代表だった小学校からの同級生、野村律子に誘われ、目黒のダーツバーに足を運んだ。
初めてダーツに触ったその日、いきなり団体戦の試合に出場し、こてんぱんに負けた。相手は見るからにひ弱そうな「オタクっぽい」チーム。悔しくて仕方なく、それから毎日8時間練習した。あっという間に虜になった。
1986年。ソフトダーツが日本に登場する遥か昔のこと。「ダーツをやってる」と言うと、「ダンスやってんの」と聞き返されるような時代だった。
二人が出会ったのもその頃。初級者のリーグ戦で何度も顔を合わすうち、自然と打ち解けるようになった。ダーツが二人の縁を取り持った。と言っても、二人の関係が友達の先に進むのは、ずっと後になる。
最前線でソフトダーツの普及に貢献
ダーツが日本に初上陸したのは、戦後間もない神戸。進駐軍相手のパブに米兵が持ち込んだのが最初とされている。
ハードダーツは根強い人気を誇ったものの、競技人口はなかなか増えず、スポーツとしての認知度も低かった。
が、80年代の米国に登場した自動計算機能を持つソフトダーツマシーンが、今世紀に入りIT技術と結びついて、個人記録を蓄積できたり、ネットワーク対戦機能を持ったりするようになると、手軽でエンターテイメント性の高い競技として、急速に普及した。
その普及を最前線で後押ししたのがPalmsなどのダーツバーであり、浅野眞弥らのディーラーだった。
「やるからには実力NO.1のツアーを」
店を始めて数カ月。出始めたばかりだったソフトダーツのマシーンを置いた。当時、長くハードダーツに親しんできた人々の間では、ソフトダーツを「素人の遊び」と馬鹿にする傾向があった。眞弥もその一人だった。が、やってみると存外面白い。マシーンの数を増やすと、それを目当てにやってくる客も増えた。眞弥はハードのリーグ戦をモデルにして、ソフトのリーグ戦の立ち上げに奔走する。
同じ頃、全国にも同じような動きが広がっていた。ソフトのトーナメント大会も開かれるようになった。各地のリーグ戦やトーナメントを主催するダーツバーの経営者やマシーンのディーラーたちの間に横の繋がりができて、仲間意識が醸成されていった。「同じ仲間同士でやっているんだったら、ツアーにしよう」。マシーンのメーカー、主要ディーラー、バレルメーカーらが集まり、規約やルール、ツアーのネーミングなどについて、何度も会議を重ねた。D-CROWN発足前夜。主要人物の一人が、浅野眞弥だった。
PERFECTの発足に遅れること1年。「やるからには、1番強いツアーを目指す」。プロ登録資格を厳しくして、07年にD-CROWNはスタートした。
当時はまだ西川だったゆかりは、D-CROWN発足当初から参加し、無敵の名を恣(ほしいまま)にした。PERFECTで結果を残せなければ、「最強ツアー」を目指したD-CROWNの誇りが傷つく。ゆかりにとって、新天地は「負けられない戦い」の場だった。
第3戦 北九州大会 準決勝 第5レグ「クリケット」
浅野 ゆかり(先攻) | 今野 明穂(後攻) | |||||||
1st | 2nd | 3rd | to go | 1st | 2nd | 3rd | to go | |
×(S1) | T20○ | T20 | 60 | 1R | S19 | ×(S3) | T19○ | 19 |
×(T3) | S19 | S19 | 60 | 2R | T19 | S20 | T19 | 133 |
S20 | T20 | S19● | 140 | 3R | S18 | ×(T1) | ×(T1) | 133 |
S18 | S18 | T18○ | 176 | 4R | S17 | T17○ | ×(S3) | 150 |
T17● | ×(T7) | T16○ | 176 | 5R | T15○ | T15 | ×(S2) | 195 |
S20 | S15 | T15● | 196 | 6R | OBL | OBL | IBL○ | 220 |
S20 | T20 | OBL | 276 | 7R | OBL | ×(S6) | IBL | 297 |
×(T1) | ×(T5) | T20 | 336 | 8R | ×(S12) | IBL | ×(S5) | 345 |
S20 | OBL | ×(S14) | 356 | 9R | OBL | OBL | IBL | 445 |
S20 | T20 | ×(S4) | 436 | 10R | S20 | ×(S4) | OBL | 470 |
×(S5) | T20 | OBL WIN |
496 | 11R | – | – | – | – |
準決勝はフルレグに縺れ込んだ。そこまでクリケットでは浅野が2勝、01では今野が2勝。コークは1度で決まらず、アゲイン。僅差で後塵を拝した今野は、随分考え込んでからクリケットを選択し、会場をどよめかせた。
先攻は浅野。序盤の3Rは、浅野の6、2、4マークに対し、今野は4、7、1で、互角の滑り出し。第4R以降も両者爆発力を欠き、小刻みにプッシュを応酬する神経戦となった。
第6R終了時のスコアは浅野196対今野220。オープンした陣地は浅野3対今野4。が、浅野が敵陣を3つカットしたのに対し、今野はカットなし。ポイントではリードを許しながら、浅野が有利に試合を進めた。
第7R以降も両者決め手を欠き、周囲をやきもきさせる展開。今野は最後の陣地のブルで得点を重ねつつカットを狙うが、ことごとく失敗。一方、プッシュに行く浅野も思うように得点を伸ばせない。
第10Rを終わって436対470。最後は浅野が先攻の利を活かし、2投目のT20でポイントを逆転。3投目をブルに突き刺して混戦に終止符を打った。
終わってみれば、コークが明暗を分けた戦いだった。
女王の名が新星の平常心を奪う
Palmsのテーブル席で、今野がクリケットを選択したときの心境を訊ねると、笑いながら率直な答えが返ってきた。 「ちょっとラッキーだなって。ゼロワンはまったく勝てる気がしなかったんで。今野さん、ブル入り過ぎなんですよ」
浅野ゆかりは笑うが、幸運なだけだった訳ではない。
試合後の今野は語った。「クリケでゆかりさんに勝てる気がしない」
にもかかわらず、今野は時間をかけて考えた挙句に、クリケットをチョイスしていた。
――勝てる気がしないのに、なぜ?
「うーん、気が迷っちゃって」
長い年月をかけて築き上げてきた「女王・浅野ゆかり」の名前が、新星から平常心を毟り取っていた。
(つづく)
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- 山本信博(3)「ぼくだけだと思うんですけど、劇的に上手くなったんですよ」
- 山本信博(2)「余計なことをあれこれ考えているときが、調子がいいんです」
- 山本信博(1)「プレッシャーはない。不振の原因は練習不足」
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- 小野恵太(3)「プロなんて考えたことありませんでした。運がよかったんです」
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- 小野恵太(1)「試合に負けて、あんなに泣いたのは、初めてでした」
○ライター紹介
岩本 宣明(いわもと のあ)
1961年、キリスト教伝道師の家に生まれる。
京都大学文学部哲学科卒業宗教学専攻。舞台照明家、毎日新聞社会部記者を経て、1993年からフリー。戯曲『新聞記者』(『新聞のつくり方』と改題し社会評論社より出版)で菊池寛ドラマ賞受賞(文藝春秋主催)。
著書に『新宿リトルバンコク』(旬報社)、『ひょっこり クック諸島』(NTT出版)などがある。