COUNT UP!
彼ら彼女らは、何を求め、何を夢み、何を犠牲に戦いの場に臨んでいるのか。実力者、ソフトダーツの草創期を支えたベテラン、気鋭の新人・・・。ダーツを仕事にしたプロフェッショナルたちの、技術と人間像を追う。
Leg5 今瀧舞(3)
観客席の空気を変えるダーツがしたい
2010年の夏、24歳のときのことだった。
当時、名古屋に住んでいた今瀧舞は、アマチュアながら東海地区では名の知られた存在になり始めていた。この年には、愛知県のDMJCレディースシングルスに初出場し優勝を飾っている。以来、DMJCでは負けたことがない。
午後7時ごろ、原動機付き自転車で大須辺りを走っていた。前を行くタクシーがウインカーを点滅させ、ブレーキを踏んだ。気づくのが一瞬遅れた。時間の流れが速度を変え、タクシーがゆっくりと大きくなっていき、目前に迫った。急ブレーキを掛けながら、思わず両足を地面について踏ん張った。鈍い音がして、ヘルメットがタクシーに叩きつけられた。
右足十字靱帯損傷で全治3カ月。完治は困難と宣告され、頸椎ヘルニアも抱えた。
最初に異変に気がついたのは、事故後に初めてダーツを持ったときだった。バレルを握ると右手に違和感を覚える。
「自分のグリップ」を失った。
男性並みに飛ぶダーツ
ダーツを始めて1年に満たない頃、今瀧は深刻なスランプに陥ったことがある。初めてダーツを投げた日からわずか8カ月で駆け上がったAフライトから、いっきにCフライトまで滑り落ちた。いくら練習しても、レーティングが上がらない。もう、やめたい、とさえ思った。
課題はグリップだった。今瀧にはダーツを投げるとき、バレルを「握り込む」癖があった。腕を引いたときに、拳をつくるときのように、指を折りたたんでしまう感じになる。そのためグリップが安定せず、軌道が定まらない。
ダーツ仲間に、「握り込むのをやめたら」と助言を受けた。アドバイスを受け入れて投げようとしたが、腕が出せない。初めて体験したイップス。それまでの、〈構えて・握って・投げる〉一連の動作から、握るが抜け、体から自然な動作が消えた。どうしても投げられない。
開き直った。「握らないと投げられないんだ、私は」
バレルを握り込んでも軌道が安定する投げ方を模索した。たどり着いた答えは「いつも同じ角度なら握り込んでも大丈夫」。試行錯誤の末、後に「男性並みに飛ぶ」と評されるようになる、「自分のグリップ」とフォームを身に付けた。
「続ける苦しみを味わえ」
時間を少し戻す。AフライトからCフライトに滑り落ち、どん底で喘いでいたときのこと。「やめたい」と思った。そのとき、ダーツの師匠と仰いでいた人物から「続ける苦しみを味わえ」と諭された。
すぐには首肯できず、しばらくダーツから離れた。が、新酒が時を経て醸成していくように、今瀧の中でダーツへの想いが膨らんでいった。2カ月後、投げたい気持ちが昂ぶって、ボードに向かった。楽しくて仕方がなかった。「続ける苦しみを味わう」覚悟ができた。以来、再びAフライトに戻るまで1年以上かかったが、「一度もやめたいと思ったことはない」。
苦労して身に付けた「自分のグリップ」を、事故の後遺症で失ったときも、そうだった。続けられるかどうか不安はあったが、むしろ「こんなに一生懸命やってきたのに、こんなことで続けられなくなるのは嫌だ」と思った。
「握れないなら、握らなきゃいいんだ」
「神様は乗り越えられない試練は与えない」
子供の頃から母に何度も言い聞かされてきた言葉が蘇ってきた。「握れないなら、握らなければいいんだ」。今瀧は再び、開き直った。
靱帯損傷と頸椎ヘルニアのリハビリに取り組みながら、新しいフォーム作りに打ち込んだ。バレルは親指の上に乗せて、人差し指と中指を軽く添えるだけ。グリップが不安定なため、ちょっとのことでコントロールを失う。上半身のぶれを極限までなくすため、カウンターチェアに座ったまま、投げる練習を繰り返した。投げ方も、フォロースルーも変えた。
2カ月後、元のレーティングを取り戻した。
振り返って、今瀧は言う。「神様は乗り越えられない試練しか与えないんです。私は、それまでも、今も、そう信じて生きています。その時も、ほんとにそう思ったんです」
強気の裏にへばり付いた不安と恐怖
《今瀧のダーツには斑がある。ここぞというときも、ノープレッシャーの場面でも、なんの脈絡もなくダーツがターゲットから大きくはずれることがある。それが勝敗の行方を左右することも少なくない》 (第2回「観客席の空気を変えるダーツがしたい」より)――
今瀧のダーツには斑がある。それには、訳があった。事故後に覚えた右手の違和感は、改善されていない。ばかりか悪化の一路を辿っている。今では、バレルを強く握ると、ぶるぶると震えて止まらない。
ダーツを親指に乗せて人差し指と中指を添えるだけでは、バレルがしっかり固定できないため、突如として、ダーツが「抜ける」ことがある。「それ」が、いつ、どのような状況で来るのか、わからない。技術の問題なのか、メンタルな問題なのかさえわからない。「それ」がいつ起きるのか、試合中の今瀧は、その不安と恐怖と闘いながら、ボードに向かっている。
試合が長引けば、「それ」が来る確率が増える。不安と恐怖は募るばかりだ。だから試合は早く終わらせたい。今瀧が「自分のダーツ」と言う「攻めのダーツ」にも「強気の戦術」にも、その裏側には恐怖と不安が張り付いている。
誰もが認める練習の虫は、その克服に日々を費やしている。もちろん、乗り越えられない試練は、ない。
(つづく)
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○ライター紹介
岩本 宣明(いわもと のあ)
1961年、キリスト教伝道師の家に生まれる。
京都大学文学部哲学科卒業宗教学専攻。舞台照明家、毎日新聞社会部記者を経て、1993年からフリー。戯曲『新聞記者』(『新聞のつくり方』と改題し社会評論社より出版)で菊池寛ドラマ賞受賞(文藝春秋主催)。
著書に『新宿リトルバンコク』(旬報社)、『ひょっこり クック諸島』(NTT出版)などがある。