COUNT UP!

COUNT UP! ―― PERFECTに挑む、プロダーツプレイヤー列伝。
―― PERFECTに参戦するプロダーツプレーヤーは約1,700人。
彼ら彼女らは、何を求め、何を夢み、何を犠牲に戦いの場に臨んでいるのか。実力者、ソフトダーツの草創期を支えたベテラン、気鋭の新人・・・。ダーツを仕事にしたプロフェッショナルたちの、技術と人間像を追う。
2014年6月16日 更新(連載第36回)
Leg8
ソフィスティケイトなスタイル そんなダンディの長かった苦闘のエレジー
谷内太郎

Leg8 谷内太郎(3)
「竹山と闘いたい」

勝てば年間総合3位を捥ぎ取ることができる13年最終戦準決勝で、谷内太郎は年間王者を確定させていた山田勇樹と対戦した。

先攻の501でレグショットをミスし、山田に第1レグのブレイクを許した谷内は、続く第2レグに年間を通して取り組んできた後攻のクリケットで、ブレイクバックに挑んだ。

ZOOM UP LEG

2013 PERFECT【最終戦 千葉】
準決勝 第2レグ「クリケット」

山田 勇樹(先攻)   谷内 太郎(後攻)
1st 2nd 3rd to go   1st 2nd 3rd to go
S20 T20 S20 40 1R T19 T19 T20 57
T18 S18 S19 58 2R T19 T18 S2 114
T17 T3 S17 75 3R T17 S16 S19 133
T16 S8 T16 123 4R S16 T19 S16 190
T2 T2 T15 123 5R S15 S15 S15 190
S4 OBL OBL 123 6R OBL OBL IBL 215
WIN
○=OPEN ●=CUT OB=アウトボード IBL=インブル OBL=アウトブル
COUNT UP!

第2レグは王者山田がミスショットを連発し、一方的な展開となった。

第1R。先攻の山田は20の5マーク。9マークの谷内は、山田陣の20をカットしたうえ57ポイントを加点し優位に立った。

第2Rも山田は5マーク。1投で18をオープンするも、プッシュはシングル、19のカットに行った3投目もシングルとなった。突き放したい谷内は6マークで差を広げる。3投目はミスしたが、T19で57ポイントを加点、相手陣18もクローズした。

第3Rも山田はぴりっとしない。1投目にトリプルで17をオープンするも、プッシュの2投目は1ビット左に外れミス。3投目もシングルとなり4マーク。谷内は1投目に山田の17をカットし、19ポイントを加点し差を広げた。

第4R。差を詰めたい山田は、2投目が再び僅かに上に外れミスショットに。が、16の6マークで48ポイントを加点し粘りをみせた。大勢を決したい谷内は5マークで最低限の仕事。山田16、谷内19の打ち合いに持ち込みポイント差を広げ、さらに山田陣の16をカットした。

正念場の第5Rで、山田はミスを連発。1、2投目を外し、3投目にかろうじて15をオープンした。ここで勝負を決めたかった谷内は足踏み。15のクローズに3投を費やしたが、大勢は決した。

第2レグは圧勝に見えたが、谷内は勝負を決め切れなかった第5Rを悔いた。そこで第2レグを終わらせていれば、その後の展開は違った、と。

「これも自分の悪い所じゃないですか。相手がもっと嫌な気持ちになる勝ち方をしなきゃいけなかったと思います。そこが自分に足りないところです。5Rで終わっていたら、相手は嫌なイメージを持つし、自分は自信を持てる展開に持ち込めたと思うんです」

頂点を目指すプレイヤーのダーツは、やはり、そこはかなく奥深い。

「神」

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最初は遊び半分だった。仕事場のレストランバーに置かれたマシーンで、店のスタッフと息抜きに興じていただけだった。

まもなく、ダーツを目当てにお客さんが訪れるようになり、請われて一緒に投げるのも仕事になった。

その中の一人に上手い人がいた。まったく歯が立たない。「このおっさんに勝たなきゃ」。負けず嫌いに火がついて、少し練習するようになった。

といっても、店でちょっと投げて、閉店後仲間と遊ぶ程度。それでも、2カ月で最初の”宿敵”を追い抜き、3カ月でカウントアップで1000点を打てるようになった。当時は1000点打つと「神」と言われていた。

大森に1000点打てる奴がいる。噂が広がり、店に対戦に来る客が増え、売り上げにもつながった。近場で上手い人がいると聞けば出かけて行って対戦した。負けることはほとんどなかった。天狗になった。

ダーツはこのくらいでいいや。売り上げにも繋がるし、ゆくゆくは店長にでもなって、モデルの仕事も続けて生計を立てていければ――。そんな風に考え始めていたころ、転機がやってくる。

次元が違う

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ダーツを始めて1年が経った頃、2003年の秋のことだった。谷内が勤めるレストランバーのハウストーナメントに、当時日本のトッププレイヤーの一人と言われていた竹山大輔がゲストに呼ばれた。

トップがどれほどのものか見せてもらおうか。傲慢な気持ち半分で見物していた谷内は自分の目を疑う。目の前で繰り広げられたデモンストレーションで、竹山はいとも容易くハットトリックやTON80、ホワイトホースを決めてしまう。初めて目の当たりにしたトッププレイヤーのダーツは、自分のそれとは次元が違った。

竹山と闘いたい。そのためにはもっと実力をつけないといけない――。鼻をへし折られた天狗の負けず嫌いに、再び火が灯った。ダーツを始めた頃とは次元の違う燃え方だった。

真剣に練習を始めた。夜が遅い仕事だから起床は昼ごろ。起きたらまず家のハードボードで1時間。店が始まる前に2時間。営業時間中の客との対戦も本気。閉店後に3時間。それを自らに課した。

浅田斉吾の場合もそうだったが、学生時代にトップレベルのアスリートだった選手の上達は早い。ラグビーで高校日本一になった浅田斉吾はダーツを始めて1カ月でAフライトに登り詰め、1年後にはプロの舞台に立っている。

大学時代、西日本王者の近大バレー部で鍛えられた谷内もまた、遊び半分で投げていた3カ月でカウントアップ1000点をクリアし、「神」と呼ばれた。もちろん、両者とも天賦の才にも恵まれた。そして谷内は、ダーツを始めて1年半、真剣に練習を始めて半年でビッグチャンスを迎える。

トッププレイヤーに躍り出る

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翌04年から積極的に都内のハウストーナメントに出場するようになった谷内は、春に東京で開催されたストロンゲストに、「力試しのつもりで」エントリーする。

ソフトダーツのプロツアーも、全国規模のトーナメントもない時代に、各地のトッププレイヤーが勢揃いするストロンゲストは、事実上の日本一を決める大会と目されていた。谷内が「闘いたい」と熱望した竹山も、当時、実力No.1と言われていた安食賢一も参戦していた。

その大会で谷内は準優勝。地元では知られていても、全国的にはまったくの無名だった谷内の名が、ダーツ関係者の知るところとなった。

ダーツで食べていく

そして秋。思ってもみない話が舞い込んでくる。「ショップに常駐して、お客さんにダーツを指南する、ダーツインストラクターにならないか」。当時はまだ数が少なかったバレルメーカーからの“転職”の誘いだった。

「ダーツで食べていく」ことを決意した谷内は、店長になろうと思っていた店も、モデルの仕事も辞め、バレルメーカーに転職。ダーツが仕事になった。翌年にはハードダーツで日本代表に選出されワールドカップにも出場する。

ダーツを始めて触ってからわずか2年。谷内は壁もスランプも挫折も知らぬまま、怖いほどとんとん拍子でプロになり、トッププレイヤーに登り詰めてしまった。

(つづく)


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○ライター紹介

岩本 宣明(いわもと のあ)

1961年、キリスト教伝道師の家に生まれる。

京都大学文学部哲学科卒業宗教学専攻。舞台照明家、毎日新聞社会部記者を経て、1993年からフリー。戯曲『新聞記者』(『新聞のつくり方』と改題し社会評論社より出版)で菊池寛ドラマ賞受賞(文藝春秋主催)。

著書に『新宿リトルバンコク』(旬報社)、『ひょっこり クック諸島』(NTT出版)などがある。