COUNT UP!

COUNT UP! ―― PERFECTに挑む、プロダーツプレイヤー列伝。
―― PERFECTに参戦するプロダーツプレーヤーは約1,700人。
彼ら彼女らは、何を求め、何を夢み、何を犠牲に戦いの場に臨んでいるのか。実力者、ソフトダーツの草創期を支えたベテラン、気鋭の新人・・・。ダーツを仕事にしたプロフェッショナルたちの、技術と人間像を追う。
2014年9月22日 更新(連載第42回)
Leg10
死線を彷徨ったあの日から3年余。復活へのアンダンテ
谷内太郎

Leg10 門川美穂(1)
鴛鴦夫婦

初めて彼と出会ったのはダーツバーだった。2007年、20歳の夏。友達に頼まれて一緒に東京・上野の「シャインズ」に行った。バーのスタッフの男の子に想いを寄せていた友達の付添いだった。

4年ぶりにバレルを握った。上手くいかない。忘れていた負けず嫌いに火が点き、毎日のように同じバーに通うようになった。

何日か後に彼と出会った。彼は黙々とボードに向かっていた。連れとの雑談の合間に時折見せる笑顔が眩しかった。昼は普通に働き、夜は別のダーツバーでアルバイトをしながら、ダーツのプロを目指している人だった。

恋と4年ぶりのダーツ

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一緒に投げてもらった。楽しかった。ダーツが楽しかったのか、彼と一緒に投げたのが楽しかったのか分からない。ただ、ただ、楽しかった。

翌日も一緒に投げた。互いに魅かれ合うものを感じて、次の日もまた次の日も、毎日のように待ち合わせてダーツを投げに行くようになった。恋に落ちた。

出会って3カ月を迎える前に、一緒に住むことにした。デートはダーツ。寝ても覚めてもダーツ。翌年の春、彼はプロテストに合格し、晴れてプロソフトダーツプレイヤーとなった。そして秋。役所に婚姻を届けた。

後にPERFECTの鴛鴦夫婦としてファンやプロ仲間から愛されることになる、門川豪志、美穂夫妻の誕生である。

ーーどこが好きになったのですか?
 2人に訊ねた。
 【美穂】私のすること、したいことを理解してくれるところですかね。
 【豪志】可愛いところです。
 【美穂】嘘だね。
 間髪を入れず、突込みが返ってきた。

2年ぶりの準決勝

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2012年12月15日、千葉・幕張メッセ。ダーツファンの熱い視線が集まるPERFECTのシーズン最終戦(第17戦)準決勝の舞台に、門川美穂が立っていた。

2010年第10戦以来、約2年ぶりのベスト4。12年シーズンは前節まで16戦中決勝トーナメントに残れたのはわずかに6回。が、この日は違った。準々決勝では、シーズン途中の参戦ながら飛ぶ鳥を落とす勢いの今野明穂を倒していた。

この年、第12戦にPERFECTにデビューした今野は、初戦でベスト4に残ると、続く第13、14戦で連続準優勝。参戦4戦目の第15戦で初優勝を遂げ、早くも翌年の女王候補の一翼に名乗りを上げていた。その新星を倒しての準決勝進出だった。

2010年5月以来の決勝を目指して対戦したのは、前節第16戦終了時点で年間総合ランク4位の松本伊代。同じ2009年最終戦がPERFECTデビューの同期生はこの日、最終戦を待たずに年間女王4連覇を決めていた絶対女王・松本恵を1回戦で倒し、絶好調を維持していた。

準決勝第1レグは門川の先攻で熱戦の火蓋を切る。

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2012 PERFECT【最終戦 千葉】
準決勝 第1レグ「701」

門川 美穂(先攻)   松本 伊代(後攻)
1st 2nd 3rd to go   1st 2nd 3rd to go
15 B 17 619 1R 19 B B 582
B 20 B 510 2R 2 B B 480
B 20 B 390 3R 7 3 16 454
B 19 B 271 4R 19 11 B 374
B B B 121 5R B 18 11 295
T20 14 15 32 6R 4 B B 191
16 OB OB 16 7R B 5 B 86
8 OB D4 0
WIN
8R
OB=アウトボード
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第1Rは門川が1ブルの82P、松本は2ブルの119Pでスタート。第2Rは互いに2ブルで、序盤は松本が僅差でリードした。

第3R以降、安定したダーツでポイントを削っていく門川に対し、最終戦に年間3位のかかる松本のダーツは硬い。第3R、第4Rで2ブルの門川が第4Rを終え、TO GO 271対374と100Pの差をつけた。

勝負どころの第5Rで、門川は冷静にハットトリック。一方の松本はブルに合わず1ブルの79Pで差は広がる。

しかし、勝負は簡単には終わらない。TO GO 121で迎えた第6Rで、門川は1投目をT20に捻じ込み残り61。が、S11のアレンジに行った2投目は上のS14に。年間を通じて苦しんできた、ブル以外のターゲットが上か下に外れる悪癖が顔を出す。上がり目のなくなった門川は3投目をS15にアレンジし、松本にボードを譲った。

が、門川の第7Rにプレッシャーを与えるため、上がり目を残したかった松本の1投目はミスショットとなりS4。2、3投目はブルを決めるもTO GO 191で、門川に余裕を与え、第1レグの勝負は事実上決した。

残り32Pの門川は第7Rの1投目が16のシングルとなり、2、3投目はノーカウントのミス。残り16Pの第8R1投目も再びシングルとなりTO GO 8。2投目はアウトボード。周りをやきもきさせたものの、3投目はしっかりD4に突き刺し、先攻のレグをキープした。

12年シーズンを通してクリケットに苦しんできた門川にとって先攻の701は生命線。しかし、どうしてもキープしたかった第1レグを死守した門川に笑顔はない。一方、試合中に喜怒哀楽を見せることのない松本のポーカーフェイスの奥には、余裕が窺われた。そして第2レグ、クリケット。松本が驚異のダーツを見せる。

愛される天然素材

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NTTが携帯電話サービスを開始した1987年。この年の1月6日に門川美穂は東京都板橋区で生まれた。バブル経済の足音が高鳴り始めていた時代だった。

――ご家族は?
 【美穂】お父さん、お母さん、お姉ちゃん。
 ――お姉さんとはいくつ違いですか?
 【美穂】4つ
 【豪志】本当?
 【美穂】美穂が中3のときにお姉ちゃんは高3でした。
 ――3つ違いですね。2人姉妹なんですね。
 【美穂】下に妹と弟がいます。

正確には、美穂は早生まれで、姉とは生年では4つ、学年では3つ違いということだった。どちらでもよいことなのだが、門川夫妻の会話は、まるで漫才を聴いているように楽しい。

美穂は4人姉弟の二女に生まれ、高島平の団地で育った。両親は美穂が幼稚園に通っていた時に別れ、4人の姉弟は父に引き取られる。会社を経営する父は料理好きで、父母2役をこなして4人を育てた。伸びやかに育って大人になった美穂には、心の奥底は知らず、暗さの微塵も感じられない。

小学校中学年でバスケットボールを始め、都立高校を卒業するまで、青春はバスケット一色に染められた。「遊びは全部バスケットで、いつも暗くなるまで公園をランニングしてました」。中学では都大会に出場し、高校では主将を務めた。

――美穂さんがキャプテンで、大丈夫でしたか?
 【豪志】ダメだと思います。
 【美穂】バスケットは大丈夫ですけど、副キャプテンが(試合に行く)交通手段とか、難しいことは全部やってくれていました。

ダーツと「ツー君」がいつも一緒

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初めてダーツを投げたのは高校1年生の秋。アルバイトをしていたカラオケ店の待合所にダーツマシーンが設置されたのがきっかけだった。

これまで取材してきたほぼすべての選手がそうであったように、美穂もまた生来の負けず嫌い。負けるのが嫌で、なぜ負けるのか分からないまま、とにかく、バイトが終わってから時間がある限り、毎日、ダーツを投げた。が、ダーツマシーンは数カ月で撤去され、美穂のダーツ熱も冷めた。

高校を卒業して3度目の夏。美穂はダーツと再会する。と同時に豪志と出会う。以来、「ツー君」と呼ぶ夫とダーツは、いつも美穂と一緒にいる。

(つづく)


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○ライター紹介

岩本 宣明(いわもと のあ)

1961年、キリスト教伝道師の家に生まれる。

京都大学文学部哲学科卒業宗教学専攻。舞台照明家、毎日新聞社会部記者を経て、1993年からフリー。戯曲『新聞記者』(『新聞のつくり方』と改題し社会評論社より出版)で菊池寛ドラマ賞受賞(文藝春秋主催)。

著書に『新宿リトルバンコク』(旬報社)、『ひょっこり クック諸島』(NTT出版)などがある。