COUNT UP!
彼ら彼女らは、何を求め、何を夢み、何を犠牲に戦いの場に臨んでいるのか。実力者、ソフトダーツの草創期を支えたベテラン、気鋭の新人・・・。ダーツを仕事にしたプロフェッショナルたちの、技術と人間像を追う。
Leg10 門川美穂(3)
3.11――死線を彷徨った
2011年3月11日午前10時頃。翌日のPERFECT第2戦出場のため、門川豪志・美穂夫妻は8人乗りのワゴン車日産セレナで自宅を出発。上野で岩永美保、竹下舞子の2人を乗せ一路北へ向かった。最初の目的地は仙台空港。大阪から参戦の星野光正と鈴木聡を空港で迎え、市内のホテルに向かう予定だった。星野は当時「皇帝」と呼ばれていたPERFECTの絶対王者。夫妻を除く4人は大阪のクロス・ダート・ディヴィジョン所属のプレイヤーで、夫妻は事務所と親しい関係にあった。
千住新橋入口から首都高川口線に乗ったセレナは、川口ジャンクションで東北道に入り、途中、那須高原サービスエリアで休憩をとり、14時頃、白石インターチェンジで高速を降りた。
仙台空港は太平洋を臨む海岸線から僅かに1㌔ほどの立地で、高速の出口から空港までは約50分。一行は奥州街道を北東に向い、空港近くのセブンイレブンに立ち寄った。前日、朝方まで働いていた美穂と岩永は熟睡していて、豪志と竹下の2人だけが店に入った。14時40分頃だった。
豪志はレジで店長と立ち話をする。
「どちらから?」
「東京から来たんです。明日、仙台でダーツのトーナメントがあるんですよ」
「知ってますよ。ダーツファンですから。頑張ってくださいね」
ジャガリコが食べたい
14時46分。豪志らが買い物を終え、店を出ようとしていたときだった。突然、足元が地の底から突き上げられるような衝撃を受けた。ぐらっと床が揺れた。それまで経験したこともない激しい揺れだった。咄嗟にアイスクリームの冷凍ケースにしがみついた。
セレナの中で眠っていた美穂は、岩永の悲鳴で飛び起きた。まるでトランポリンの上にいるみたいにシートが上下に激しく揺れた。訳がわからず、岩永と手を握り合って泣きながら揺れが収まるのを待った。
地震が収まると直ぐに空港へ向かった。空港が目前に迫ったとき携帯が鳴る。飛行機が引き返した、とにかく安全な場所に移動した方がよい、というクロスの社長、入江高伸からの連絡だった。
経験もないような大きな地震だったから、この先何があるかわからない。食べ物と飲み物も確保しておこう。4人は空港を後にし、直前に立ち寄ったセブンイレブンを再び訪れる。そのとき、美穂は無性にジャガリコが食べたくなった。
「私、買ってくる」
ジャガリコをどうしても買いたかった美穂は買い出し役を引き受け、3人を車中に残し上着も着ないまま財布だけを手に持って店に入った。地震で散乱した商品がところどころそのままになっていたが、普通に営業していた。その「お菓子の中で一番大好き」なジャガリコが、美穂を3人から引き離し、地獄の淵に誘う。
「死んでしまうんだ…」
地震発生から1時間10分後の15時56分頃だった。ジャガリコやおにぎりの入ったかごを持ってレジに並んだ。ふと外に目をやると、辺りが湖のようになっていて、何かが沢山流れている。訳が分からず茫然と眺めていると自動販売機や車が流れているのが見えた。「なにこれ」。恐怖が襲ってきた。駐車場に目を移すと豪志たちが乗っている車が浮きあがり、そして流され始めた。「どこに行っちゃうの、一人にしないで」
途方に暮れた。足元を見やると店にも水が入ってきていた。店員が出入り口のドアをロックし、外に出られなくなった。みるみるうちに水嵩が高くなっていく。どこか高いところに。咄嗟にそう思い、レジの台に飛び乗った。
皆は大丈夫なの?大会はどうなっちゃうの?私は今、どうすればいいの?――。レジ台の上で、さまざまな不安が頭の中を駆け巡った。
轟音と同時に体に強い衝撃を感じた。津波に流されたトラックがウインドウを突き破って店の中に突っ込んで来ていた。バスも見えた。あっという間もなく、濁流に呑み込まれた。息が出来ない。天井に頭がぶつかって、天井に迫った水面から顔が出せない。死んでしまうんだ。そう思った。
力強い腕と一本のストロー
その時だった。自分の体を捕まえてくれている力強い腕に気付いた。買い物客の男性だった。男性からストローを渡された。
「(流されないように)掴んでいるから、これで息をして」
津波は容赦なく何度も襲ってくる。異臭が鼻を刺し、悲鳴が耳を劈く。真っ黒な油にまみれた濁流に呑まれ、目は見えない。その中で、男性に励まされ、ストローを咥えて必死で息をした。左肩に強い痛みを感じた。動かそうとしても動かない。脱臼したようだった。
奇跡
豪志ら3人を乗せたセレナは、なす術もなく津波に流され、美穂が残るコンビニエンスストアから離れていった。が、およそ100㍍の地点で「奇跡」が起きる。
流されたセレナは近くの自動車修理工場の倉庫に吸い込まれ、激流から逃れることができた。ほっとしたのも束の間、大型トラックが猛烈な勢いで倉庫に向かって流されてくる。目の前に迫ったとき、トラックは倉庫の屋根に閊えて入口で止まった。止まっただけでなく、バリケードの役割まで果たしてくれた。
しかし、危険が去った訳ではない。車は浸水しその重みでセレナは半分以上水中に沈んでいる。ドアは水圧で開かない。車内の水嵩はどんどん高くなっていく。このままでは危ない。開くはずがないと諦めていたパワーウインドウのスイッチを押すと、するすると窓が開いた。物凄い勢いで汚水が車中に流れ込む中、3人は窓から脱出。流されてきていた車や瓦礫をいくつも乗り越えて、止まっていたトラックの荷台によじ登った。目に入る物の中で一番高い場所だった。
トラックの荷台から美穂とはぐれたセブンイレブンを探した。建物は水没しているように見えた。多分、助かってはいない。豪志は美穂の死を覚悟した。
恐怖と激痛と極寒の4時間
油に塗れた水の中にいたのは4時間ぐらいだったか。時間の感覚があまりない。終わることはないと思えるほどの、とてつもなく長い時間だった。寒かった。この日、仙台の最高気温は6.2度、最低気温は-2.5度。午後からは雪が降っていた。体は冷え切り感覚は失われていた。
水に浮かんでいる間も次々といろいろなものが流れてきた。人間も沢山流されてきた。目にするたびに恐怖に襲われた。生きているのか死んでいるのかもわからない。生きているとしても、どうすることもできない。阿鼻叫喚の生き地獄に美穂はいた。
トラックがコンビニの壁を突き破ってきたときに聞いた悲鳴が耳から離れない。体温は失われていく。自分もこのまま死んじゃうのかな。ここで終わりなのかな。何度も思った。
ツー君はどうしてるだろう。美保ちゃんは、舞子ちゃんは、無事かな。きっと大丈夫だよ。お父さんはどうしてるかな。お姉ちゃんは、妹は…。もう会えないのかな…。一緒に来た仲間の安否や家族のことが頭を巡る。ダーツのことも考えていた。こんなことになって、明日の大会はあるのかな。怪我したのは左肩から、大丈夫かな。いや、きっと投げられる…。
何度も同じ考えが浮かんでは消え、また浮かんでは遠ざかっていく。そのようにして寒さと恐怖と激痛の、長い長い時間は一息半歩の歩みのようにのろのろと流れていった。津波の中で、時間は止まってしまったようだった。
(つづく)
- 【特別編】2016 年間チャンピオン - インタビュー
- 髙木静加 ニューヒロイン誕生!
- 浅田斉吾 自分を見ることができるようになった
- 【Leg16】髙木静加 もう逃げない ―― 遅れてきた天才の決意
- 髙木静加(4)無限の伸び代
- 髙木静加(3)亀の歩み
- 髙木静加(2)逃げた
- 髙木静加(1)大城明香利の予言
- 【Leg15】大内麻由美 覚醒したハードの女王
- 大内麻由美(6)世界の頂を見据え、二兎を追う
- 大内麻由美(5)「理論派」の決意
- 大内麻由美(4)名前が売れた
- 大内麻由美(3)最初から上手かった
- 大内麻由美(2)父の背中
- 大内麻由美(1)「引退はしません。後は、年間総合優勝しかありません」
- 【特別編】2015 年間チャンピオン - インタビュー
- 大城明香利 初の3冠に輝いたPERFECTの至宝
- 浅田斉吾 年間11勝 ―― 歴史を変えた“ロボ”
- 【Leg14】知野真澄 みんなの知野君が王者になった。
- 知野真澄(6)「ちゃんと喜んでおけばよかったかな」
- 知野真澄(5)「絶対に消えない」
- 知野真澄(4)10代の「プロ」
- 知野真澄(3)「高校生なのに、上手いね」
- 知野真澄(2)お坊ちゃん
- 知野真澄(1)3冠王者誕生
- 【Leg13】今野明穂 うちなーになった風来女子、その男前ダーツ人生
- 今野明穂(6)お帰り
- 今野明穂(5)プロの自覚
- 今野明穂(4)どん底
- 今野明穂(3)ニンジン
- 今野明穂(2)沖縄に住みたい
- 今野明穂(1)今野 Who?
- 【Leg12】山田勇樹 PRIDE - そして王者は還る
- 山田勇樹(6)がんからのプレゼント
- 山田勇樹(5)…かもしれなかった
- 山田勇樹(4)決断と実行
- 山田勇樹(3)強運伝説
- 山田勇樹(2)「胃がんです」
- 山田勇樹(1)順風満帆
- 【Leg11】一宮弘人 この手に、全き矢術を
- 一宮弘人(5)ダーツを芸術に
- 一宮弘人(4)負けて泣く
- 一宮弘人(3)ダーツに賭けた破天荒人生
- 一宮弘人(2)「自由奔放に生きてやる」
- 一宮弘人(1)「いずれは年間王者になれると信じています」
- 【Leg10】門川美穂 不死鳥になる。
- 門川美穂(6)復活の時を信じて
- 門川美穂(5)帰って来た美穂
- 門川美穂(4)死の淵からの帰還
- 門川美穂(3)3.11――死線を彷徨った
- 門川美穂(2)PERFECTの新星
- 門川美穂(1)鴛鴦夫婦
- 【Leg9】大城明香利 沖縄から。- via PERFECT to the Top of the World
- 大城明香利(4)「5年後に世界を獲れたら面白いですね」
- 大城明香利(3)「ダーツにだったら自分のすべてを注げる」
- 大城明香利(2)勧学院の雀
- 大城明香利(1)決勝に進むのが怖くなった
- 【Leg8】谷内太郎 - The Long and Winding Road ― 這い上がるダンディ
- 谷内太郎(4)失われた4年。そして
- 谷内太郎(3)「竹山と闘いたい」
- 谷内太郎(2)「レストランバーの店長になっていた」
- 谷内太郎(1)「長かった」
- 【Leg7】樋口雄也 - 翼を広げたアヒルの子
- 樋口雄也(4)「ダーツは自分の一部です」
- 樋口雄也(3)テキーラが飛んでくる
- 樋口雄也(2)理論家の真骨頂
- 樋口雄也(1)悲願の初優勝
- 【Leg6】浅田斉吾 - 「浅田斉吾」という生き方
- 浅田斉吾(6)家族――妻と子
- 浅田斉吾(5)兄と弟
- 浅田斉吾(4)両刃の剣
- 浅田斉吾(3)「ラグビー選手のままダーツを持っちゃった感じです」
- 浅田斉吾(2)「最速は、僕です」
- 浅田斉吾(1)「今季の目標は圧勝です」
- 【Leg5】今瀧舞 - 熱く、激しく、狂おしく ~ダーツに恋した女
- 今瀧舞(6)「現役を引退しても、ずっとダーツと関わっていたいと思います」
- 今瀧舞(5)「ダーツがやりたくて、離婚してもらいました」
- 今瀧舞(4)涙の訳
- 今瀧舞(3)「神様は超えられる試練しか与えない」
- 今瀧舞(2)「観客席の空気を変えるダーツがしたい」
- 今瀧舞(1)「ダーツを始めてから、テレビはほとんど見ていません」
- 【Leg4】前嶋志郎 - ダーツバカ一代
- 前嶋志郎(3)「ダーツ3本持ったら、そんなこと関係ないやないか」
- 前嶋志郎(2)「ナックルさんと出会って、人のために何かがしたい、と思うようになりました」
- 前嶋志郎(1)「ダーツ界の溶接工」
- 【Leg3】浅野眞弥・ゆかり - D to P 受け継がれたフロンティアの血脈
- 浅野眞弥・ゆかり(4)生きる伝説
- 浅野眞弥・ゆかり(3)女子ダーツのトップランナー
- 浅野眞弥・ゆかり(2)「D-CROWN」を造った男
- 浅野眞弥・ゆかり(1)「PERFECTで優勝するのは、簡単ではないと感じました」
- 【Leg2】山本信博 - 職業 ダーツプレイヤー ~求道者の挑戦~
- 山本信博(6)「結局、練習しかないと思っているんです」
- 山本信博(5)「1勝もできなければ、プロは辞める」
- 山本信博(4)「ダーツはトップが近い、と思ったんです」
- 山本信博(3)「ぼくだけだと思うんですけど、劇的に上手くなったんですよ」
- 山本信博(2)「余計なことをあれこれ考えているときが、調子がいいんです」
- 山本信博(1)「プレッシャーはない。不振の原因は練習不足」
- 【Leg1】小野恵太 - 皇帝の背中を追う天才。
- 小野恵太(4)「星野さんを超えた? まったく、足元にも及びません」
- 小野恵太(3)「プロなんて考えたことありませんでした。運がよかったんです」
- 小野恵太(2)「こんなに悔しい思いをするんなら、もっと上手くなりたいと思ったんです」
- 小野恵太(1)「試合に負けて、あんなに泣いたのは、初めてでした」
○ライター紹介
岩本 宣明(いわもと のあ)
1961年、キリスト教伝道師の家に生まれる。
京都大学文学部哲学科卒業宗教学専攻。舞台照明家、毎日新聞社会部記者を経て、1993年からフリー。戯曲『新聞記者』(『新聞のつくり方』と改題し社会評論社より出版)で菊池寛ドラマ賞受賞(文藝春秋主催)。
著書に『新宿リトルバンコク』(旬報社)、『ひょっこり クック諸島』(NTT出版)などがある。