COUNT UP!
彼ら彼女らは、何を求め、何を夢み、何を犠牲に戦いの場に臨んでいるのか。実力者、ソフトダーツの草創期を支えたベテラン、気鋭の新人・・・。ダーツを仕事にしたプロフェッショナルたちの、技術と人間像を追う。
Leg10 門川美穂(5)
帰って来た美穂
警察庁の発表によれば、東日本大震災による死者は15889人、行方不明者は2598人で、犠牲者のうち津波による水死者は、全体の90%を超える14306人に及ぶ。門川夫妻が被災した仙台市では914人の命が失われた。
門川美穂も死者の側に数えられていても不思議ではなかった。3月11日の午後、そのような状況に彼女はいた。
美穂を死者の側から生者の側に振り分けたのは、見知らぬ人の無償の愛と善意、そして数々の天啓であった。津波に流されそうになった美穂の体をしっかりと生の側に繋ぎとめてくれた、たまたまセブンイレブンに居合わせた男性の助けがなかったら、津波に呑まれ息ができなかったあの時、ストローが近くに浮かんでいなかったなら、それを男性が機転を利かせて美穂に渡してくれていなかったなら、美穂の命はなかった。
それは、門川豪志も竹下舞子も岩永美保も、そしてあの日、津波の中で九死に一生を得たほかの多くの人たちも、同じだった。人の善意やちょっとした機転、天運が人々の生死を分けた。
無償の愛と天啓に恵まれ、美穂は生還した。奇跡だった。心に受けた傷は大きかったが、これで悪夢は終わったと思った。それは、しかし、束の間だった。悪い夢には続きがあった。
歩けなくなった
仙台から帰って1週間ほど経った頃のことだった。そろそろ仕事にも復帰しなければいけない。そんなことを考え始めていたとき、突然、歩けなくなった。
朝、目覚めたら足が動かない。感覚もない。触っても何も感じない。病院に行った。が、検査をしても原因が解らない。都内の名だたる大学病院の門をいくつも叩いたが、結論は同じ。いくら検査を重ねても、数値に異常は見られない、と言われるだけだった。
原因不明のまま外科の病棟に入院し、1カ月後に精神科病棟に移された。歩けないのは心の問題と判断された。そのとき、ダーツを取り上げられた。先の尖ったものは持ち込みが禁止されていた。「ダーツが投げられなくなる」。そう思い込んだ美穂は荒れた。
それから1カ月。苦しい日々が続いた。精神科の病棟には、それまでほとんど目にしたことがなかった、心の安定を失った人々が大勢いた。その光景を見るのが辛い。自分もその人々と同じ患者であり、その一挙手一投足が終日監視されている。なぜ、監視されなきゃいけないのか、なぜ、自分はここにいなければならないのか…。震災で受けた心の打撃は癒されるどころか、心が休まることない日々を強いられることになった。
何より苦しかったのは、ダーツに触れることができないことだった。ダーツは自分の人生。ダーツに触っているのが何よりの幸せと感じていた美穂にとって、それは拷問のような日々だった。
ダーツ仲間に支えられ
そんな日々を支え、救ってくれたのは、ダーツの仲間だった。美穂が突然歩けなくなったとき、夫妻は途方に暮れた。美穂は人の助けがなければ日常の生活もできない。が、豪志には仕事がある。仕事にいかなければ生活ができない。困っている夫妻を、ダーツバーで知り合い親しくしていた菅英子と娘の信江が助けてくれた。伸江は豪志より3つ年長で、英子は夫妻の親と同じ世代の人だった。
母娘は歩けなくなった美穂を支え、いくつもの病院に付き添い、入院の手続きをしてくれた。精神科病棟でダーツを取り上げられ心が荒れたとき、粘り強く看護師長と交渉し、午前と午後の1日2回、10分ずつダーツを触れるようにしてくれたのも菅だった。
入院中には毎日のように、プレイヤー仲間やスポンサー、メーカーの関係者が病棟を訪れてくれた。その励ましが苦しい日々の気分転換となり支えになった。美穂は多くの仲間たちの愛と善意に囲まれていた。
「生きてたんだ!」
5月、入院からおよそ2カ月後、美穂は退院する。残念なことに、完治した訳ではなく、精神科に入院していても何も変わらないと判断しての、自主的な退院だった。
退院後、美穂は夫妻が「東京のママ」と呼ぶ菅の家で世話になる。車椅子で生活する美穂を、母娘は心身両面で支えてくれた。ダーツバーにも連れて行ってくれた。左手で杖を突いて立って投げる。投げたダーツはママたちが抜きに行ってくれた。そのようにして、美穂はリハビリの時を過ごした。
そして秋。10月8日、静岡。美穂はPERFECTに帰って来る。杖での生活が続いていたが、「絶対に嫌」で、杖なしで試合にのぞんだ。3本投げると、ゆっくりと一歩一歩、スローラインからボードまでの2.4㍍を歩いた。それは、美穂の復活の道程を象徴するかのような光景だった。
惜しくも決勝トーナメント出場は逃した。が、1勝もできないと思っていたのに、予選ロビンで2勝。復帰第1戦のファーストラウンドはハットトリックでスタートした。その姿を、美穂の被災を知る多くの仲間が見守っていた。
「生きてたんだ」
PERFECTでダーツを投げて、美穂はそう実感した。
「ダーツが投げたくて仕方なかったんです。ダーツが好きで好きで、人生の一部なので、PERFECTに復帰してダーツを投げたとき、やっと、生きてたんだって、実感できたんです」
美穂は戦いの舞台に戻った。そして、新しい一歩を踏み出した。が、その歩みには困難が立ちはだかっていた。
(つづく)
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- 小野恵太(1)「試合に負けて、あんなに泣いたのは、初めてでした」
○ライター紹介
岩本 宣明(いわもと のあ)
1961年、キリスト教伝道師の家に生まれる。
京都大学文学部哲学科卒業宗教学専攻。舞台照明家、毎日新聞社会部記者を経て、1993年からフリー。戯曲『新聞記者』(『新聞のつくり方』と改題し社会評論社より出版)で菊池寛ドラマ賞受賞(文藝春秋主催)。
著書に『新宿リトルバンコク』(旬報社)、『ひょっこり クック諸島』(NTT出版)などがある。